2021.1 Updated

「モンテッソーリ法の教育と医学-はしがき

そして一方で、他の一切を投げ捨ててこの特別な探求に彼女を集中させ、もう一方では彼女が見つけだしたものを人びとに知らせ、物分かりの悪い人びとの中で自分の考えを勇敢に述べ伝えていく活動をはじめていったのです。

 そのような運動を始めたのは、モンテッソーリの本意ではなかったのですが、それは彼女の副産物のような物にすぎなかったのです。

モンテッソーリがやろうとしたことは、人間の発達について彼女が新しく知り得たことを人びとに知らせることでした。彼女は全身全霊をこめてこの仕事にあたりました。長い生涯をとおして彼女は正しい子どもの理解のために、すなわち、人間の生成という大義を唱導し続けたのです。」

このように母親のことを述べている。


マリオの話にあるように、マリア・モンテッソーリは初め精神科医であったが、精神病院や特殊学校で働くうちにセガンやイタールの影響を受け、関連の勉強をしながらも、やがて医学や障害児教育からも離れて幼児教育に進み、その普及のために大変な活動を続け、晩年には「平和と教育」に身を捧げた人である。ノーベル平和賞も自分から望んで辞退したいといわれている。

このように、彼女の医師として活躍は10年くらいのものであり、また精神科の臨床を捨てたといわれているが、その幼児教育は生理学的教育そのものである。簡単にいえば、モンテッソーリ・メソッドといわれるものはセガンの精神と方法に起源を持っていたにもかかわらず、そのメソッドを普通児教育に持ち込んだのである。だから普通児教育に適応された精薄児の教育法なのである。

教育的には、ペスタロッチ、プレーベルあるいはピアジェ、クルプスカやなどの教育思想家につながっていくが、出発はイタール、セガンに始まっているわけである。

こで、モンテッソーリ法のポイントを中心に解説してみたいと思う。その教育のねらいは、集中現象を体験することによって、安定した「正常」な子どもをつくることである。それを、私は30年の実践と研究を通して十分に知ることができた。モンテッソーリと同じ学問的経歴の私は、科学的な立場にたって実験と観察を重ねてきた。そこからモンテッソーリ法のポイントを科学的に説明したいと考えている。

『子どもの家の幼児教育に適用した科学的教育法』、つまり『モンテッソーリ・メソッド』の中には、マリア・モンテッソーリが当時の教育学のレベルを医学並みに引き上げたいという念願から、「科学的教育」と「実験教育学」をうちたてようとしたと書かれている。であるから、モンテッソーリ法のポイントは彼女自身の著書にはっきりしていることになる。

この最初の著書は、1912年のものであるが、私は常にこの本から離れないように気を配り、私のところの研修者にもそのことを強調してきた。もちろん、当時同時に出された『教育学的人類学』の著作もぜったいに必要であると考えている。

彼女が、イタール、セガンに次ぎ、生理学的方法によって児童を研究し、とくに障害児の教育方法を改め、その実験と理論から、分析の上にたって教育法を形成することによって、当時の教育を改革することができるに違いないと考えたように、私もまったく同じ道を歩み、またまったく同じ考え方に到達しているように思う。

モンテッソーリ・メソッドの第1章は、「現代科学との関連における新しい教育学の批判的考察」といういかめしい題で始まっているが、いかにも科学的教育法を確立したい気持ちがよく表われているように思う。


1990年1月10日


西本順次郎